月別アーカイブ: 10月 2012

ALWAYS三丁目の夕日

標準

先月、たまたますごーい久しぶりに映画館なんぞにお出かけして日本映画を見ました。「ALWAYS 三丁目の夕日’64」

映画を楽しむことは陰謀論を知って以来アホらしくてライフスタイルからあっさりカットしていました。最後には何を見たのだろう?

一番最初の「マトリックス」だったかもしれない・・・

さて、そういう意味で期待もなく日本映画というのも元々見ていなかったので、今回選択したのは物語が戦後の昭和が舞台のようでなんとなくノスタルジイを感じたのか足を運びました。

勘当・・・  いや、感動です!

原作は漫画だそうですが、原作と映画はどの程度の脚色が上塗りされているのか、映画のストーリーは映画用のオリジナルなのか定かではありませんが、感動です。

3カ所かな、ハートにグッときました。これはストーリ展開のなせるワザと役者さんの演技によるものが大きい。児童小説家の田舎の父親役とその伯母役のお二人は舞台でも昔から知っていたので映画に妙味をつけてくれて嬉しい気がしました。

自動車修理と言っても昭和の私も記憶にもこの映画と同じようなお家があった気がします。懐かしい、タバコ屋のおばさん、お豆腐屋さん、八百屋さん等など。

スズキオートの親父さん、こんな親父さんはいたるところにいたような気がします。「殺すぞ!」この本気がいい。ろくちゃんをしあわせにできなかったら、という意味ですが(・・;) それだけ真剣に生きろ、という気迫が感じます。

今の人たち、生まれたときからテレビ、電話、家電はもちろんパソコン、携帯電話、ゲーム機がすでに手に入っている時代に生きてる人たち。情報はたくさん得ることができるし、パソコンやゲームも使い方によっては創造力を広げる助けともなるでしょう。

モノは揃ったとしても人と人の会話、心の機微、気持の動き、そういう生ものは今も昔も生ものであり続けています。

会話は生ものです。加工した会話なんてしたくもありません。そんな時間をつぶすならパソコンしていたほうが100倍も増しです。心の機微も生ものです。加工して後で冷蔵庫から出して味わってみようっていうわけにはいきません。

生ものだからこそ、価値があるのです。

その価値を感じられる世代がずっと続いていって欲しいと切に願います。

私たちは人間です。生ものです。加工できないんです。それなのに一生懸命自分から自分を加工しようとしている現代人の多いこと。型にはめようとなんとかパッケージ通りにしたいと加工に努力している。そのうちに心が腐っていく。生ものである自分を忘れてしまったが為に・・・

そういう人は霞ヶ関界隈や丸の内界隈にとても多いものです。関東の場合はですが。

ということで、映画に関しての細かい点への批評もありますが、ここまでとしておきます。